2017.01.28 若干寒さが緩んだ感じの九十九里。 思ったよりも波にまとまりがありませんでしたが天気もいいのでたくさんのSUPサーファーが集まっていました。 朝からボードのお渡しが3本ほどあったので早めにショップに行きましたがすでに待っている方もいて….お待たせしてしまってごめんなさい。 Naish Hokua7`8LEを購入してくれたマルコム。 思ったよりも浮力がなくて苦戦していたけどきっと若さという武器であっという間にすごいライディングしているんだろうな。 油断するとすぐに運転席にいるツクシ…. 日中はいいけど夜これをやられるとかなりびっくりします。 朝の業務を終えるとお手伝い部隊が到着。 Ryuはショップの掃き掃除や窓拭きなど一生懸命やってくれるようになりました。 妹の桜子もあっという間なんだろうな。 夕方になってもキッズ達のパワーは収まる気配がなく夕方までFJファミリーが沢山遊んでくれていました。 僕もRyuくらいの時両親が本当に忙しくてこうしてみんなが遊んでくれたなー。 夕方になるとチーム員のみんなが帰ってしまって夕方のショップにいるのが寂しくて、Ryuも一緒で日中は夕方まで力のかぎり遊んでみんなが帰った後のショップでは寂しそう。 ふっと夕方のショップで僕の幼少期とRyuがオーバーラップしちゃいました。
僕が生まれ育ったのが岬町にあったこのショップ。 まだ周りにサーフショップがなくこのショップが千葉のサーフィンのランドマーク的な存在だったようです。 このショップの裏で生活していて週末は朝早くからお客さんが来ていたのを思い出します。 ショップ裏にも同い年の友達もいて平日は裏の山に行って木登りしたり、探検遊びしていたりしていましたが何よりも楽しかったのがお店に来るお客さんたちと遊ぶ事。 それはそれは忙しいお店だったから入れ替わりでいろんな人が来て、海に連れて行ってもらったり、暇になると裏はサーフボード工場だったからそこには当時の従業員の皆さんがたくさんいたのでお弁当を食べたり….(その時お弁当食べたことは今でも言われますが笑) 今思えばあの当時働いていた人たちは現在のサーフインダストリーを支えていると言っても過言ではない人たち….すみませんでした。 夕方になりショップが寂しくなり閉店近くになるといつも流れていたのがイーグルスのホテルカリフォルニア、多分秋くらいだったと思うのですがショップの前の畑に夕日が沈んでいく時に流れていたこの歌、いつもホテルカリフォルニアを聞くとその風景を思い出しまた夕方のショップでの寂しかったことがよぎります。
きっとRyuも大きくなってこの仕事をするかどうかはわかりませんが今のショップでのことをこうして思い出すのかな….なんて。 でもあの時両親が持っていた感性みたいなものがあるから今の自分の仕事が成り立っているのは間違いありません、先代からのそうした経験の貯金があるからこその自分のショップなんだなってことが今になってよくわかるようになりました。
これから先子供達に何を伝えていけるのか….自分の成長を止めてしまったら伝えていけるものがなくなってしまうと思うとまだまだ仕事も遊びも一生懸命やらないと…。
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