2017.12.05
昨晩からかなり風が強くなりその影響か夜にホテルが停電に。 朝起きてテレビをつけるとベンチュラの山火事がライブで見たのでコウスケ君に連絡すると社員も火事の被害を受けているかもしれないので会社は休みで彼自身も避難するということ。 心配な気持ちを持ちながら帰国が明後日なので今日のうちにできることをということで父の古くからの友人に会いに南へ。
ホテルから見える山火事からの煙。
ドライブを始めるとロスアンジェルスでも火事が起きている影響でドライブしていてもどこもガスっていました。 マリブも波もイマイチ、親父がどうしてもマックが食べたいというのでマックでランチ。 探せば美味しいバーガーはあると思うのですが父が初めてアメリカに来た1960`sのマックの味がすべてでその時の感動が完全にDNAに組み込まれているので仕方ないですね…..笑
途中渋滞もありながらも無事にマイクパーパスが住むレドンドビーチ近くのアパートメントに到着。 海の近くの閑静な住宅街。 マイク曰く30年前からこの場所を借りていて賃料は昔のままの800ドル、今ここを借りたら3000ドルだよって確かにいい場所です。 到着すると快く出迎えてくれて愛犬と一緒に部屋を案内してくれました。 89歳、いまだに週2回シェイプをしているというHap Jacobsがシェイプしてくれているボードを自慢げに見せるマイク。 サーフィンインダストリー発祥の地アメリカ….。 新島でのイベントのポスターが大事に飾られていました。 この時のフェリーの思い出は船がすごく揺れていてみんな吐きまくっていたけどマイクと父は日本酒を飲んでよっぱらえばこれ以上船酔いしないとベロベロになってぶっ倒れるまで飲んだことなど面白おかしく語ってくれました。 1970年代サーファーの特徴はやはり豪快な話が多いことですね笑 奥の女性の裸のボードは昔のガールフレンドの絵でこれを持って海外に行くときは大抵注意されて絵の下半身の部分にテープを貼らないとポルノだと言われて海に行けなかったようです….。
日本での思い出も、夷隅のリバーマウスの波の良さ、勝浦マリブでミッキーさんとサーフィンをしたこと、夜は大抵親父と日本酒で記憶がなくなるまで飲んで朝起きると8時。 ユリはその前にお店を開けていてその間にボードを5,6本すでに売っていてすごい店だったと懐かしそうに話していました。
当時父が売っていたサーフボード、スケートボードの本数はそれはそれがすごく、時に日本からTEDから送られて来たと別の日本人がマイクの元に来て父と同じルートで商品を仕入れ日本で大きな商売をする人たちもいたりとインターネットもない時代、まさしく仁義なきサーフビジネスの闘いが行われていたんだなーって….今でもそうか。
父にしても何もない時代に体一つでカリフォルニアに渡りビジネスを展開していたこと、改めてすごいことだなと思います。 カリフォルニアエクスプレッションと。 このボードのストーリーも語ってくれました。 昔父が500本のスケートボードを注文したら穴だらけのボードが出来上がってそれを見たマイクが社長に言ったら実は社長はマフィアとの金銭トラブルに巻き込まれコスタリカまで雲隠する前でマイクにとってもどうしようもなくそのま消えてしまった。実はハンティントンで新しいストアをオープンするも社長もいないしお金の取り立てでマフィアもくるし….。 このブランドの副社長になっていたマイクは大きなトラブルに巻き込まれプロサーファーの道からバーテンダーに、その8年後突然社長が表れ結局ダーティーな方法でお金を集めることにしたけど結局その社長は永遠に消えてしまって今度のその穴埋めをデューイー・ウェバーがすることになり2年間トヨタでタダ働きをマフィアにさせられていたと本当に映画のような話を聞かせてくれました。 その時は生きるか死ぬかの毎日だったと思うのですが….。 もしあのままブランドが残っていたら実はすでにショーントムソン、バテンスとも契約していたというカリフォルニアエクスプレッション、マイクさんの人生が濃縮されているような考えると少し複雑な気持ちにさせられました。
それでもこうして数年ぶりに会い外国でも50年もの友情関係を確かめる相手がいるというのは素敵なことですよね。 マイクさんから頂いた70年初頭にデザインされプロダクツ化されなかったデザイン。 古臭さをまるで感じない。
Thanks Mike san for sharing wonderful time.
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